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【岡崎市】鮮魚店から始まった魚信になぜ豆腐工房が?全焼・廃業から復活した「4代目原田豆冨」

こんにちは。

季節の魚と釜飯 魚信本店、店長の田口です。

魚信へ初めてお越しくださったお客様から、ときどきこんなことを聞かれます。

「魚信さんって魚屋さんから始まったんですよね?
それなのに、どうしてお店の敷地に豆腐工房があるんですか?」

確かにそうですよね。

魚信は昭和42年、鮮魚店から始まりました。

今でも南伊勢や師崎などから届く旬の魚を扱い、魚料理と釜飯を大切にしている和食店です。

そんな魚信の敷地内に、なぜ毎朝豆腐を作る工房があるのか。

実はそこには、一度は消えかけた岡崎の味を、どうしても残したかった人たちの物語があります。

 

4代目原田豆冨と豆腐づくりの物語

 

魚信の敷地内にある「4代目原田豆冨」。この豆腐工房が生まれるまでには、地域の味を残したいという思いがありました。

魚信が20年以上使い続けていた「原田豆腐店」の豆腐

魚信では長年、岡崎市で80年以上続いてきた原田豆腐店さんの豆腐を料理に使わせていただいていました。

その付き合いは20年以上。

でも実は、魚信と原田豆腐店とのご縁は、それよりもっと前からありました。

お互いの親の代、先代同士の頃からつながりがあったんです。

同じ岡崎の地域で商売をする者同士。

先代から次の世代へ。

長い年月をかけて関係が続いてきました。

原田さんが作る豆腐は、とにかく大豆の味が濃い。

口に入れると、大豆の香りと甘みがふわっと広がります。

派手な料理ではありません。

「あ、この豆腐おいしいね」

と、お客様が自然に言ってくださる豆腐でした。

魚信にとっても、それは単なる仕入れ商品ではありませんでした。

魚信の料理を作る、大切な味の一つだったんです。

2020年8月。突然、その豆腐が食べられなくなりました

ところが2020年8月。

原田豆腐店さんが火災で全焼しました。

長年使ってきた豆腐工房も失われました。

そして原田さんは、火事の翌日に廃業を決められました。

「この先は、もう豆腐を卸せない」

魚信にも、廃業当日にその話が伝えられました。

もちろん、一番つらかったのは原田さんご本人だったと思います。

長年続けてきた店。

毎日作ってきた豆腐。

地域のお客様。

学校給食。

卸先のスーパー。飲食店。

それまで当たり前に続いてきたものが、突然途切れてしまったのです。

 

原田豆腐店から受け継いだ豆腐づくり

 

一度は途絶えかけた豆腐づくり。ここから「味を残したい」という挑戦が始まりました。

「それなら魚信で作れないだろうか」

魚信としても、簡単に諦めることができませんでした。

長年使ってきた原田さんの豆腐。

魚信のお客様にも喜んでいただいていた味です。

「作り方を教えてもらえませんか?」

そうお願いしました。

でも、豆腐作りはそんな簡単なものではありません。

魚信には日本料理の厨房はあります。

料理人もいます。

しかし、豆腐作り専用の設備はありません。

大豆から豆乳を搾る。

温度を見る。

にがりを合わせる。

長年の感覚で固まり具合を見る。

料理人だから豆腐も作れる。

そんな世界ではなかったんです。

何度お願いしても、原田さんの答えは「もうやらない」

魚信から何度か、原田さんへお願いしました。

「もう一度やりませんか」

「この味を残しませんか」

でも、一度店を失い、廃業を決めた原田さんです。

簡単に「はい」と言えるはずがありません。

それでもお願いを続けていると、ある時、原田さんから条件が出されました。

「自分に弟子をつけてくれるなら……」

おそらく、それを聞けば諦めると思われたのかもしれません。

豆腐職人になる。

朝早くから仕込みをする。

何年もかけて技術を覚える。

普通なら、

「そこまではできません」

となっても不思議ではありません。

ところが、魚信側の答えは違いました。

「だったら、自分が弟子になります」

「だったら、自分が弟子になります」

そう答えました。

魚信に豆腐工房ができることになった原点は、ここです。

豆腐を仕入れられなくなったから、別の豆腐へ変える。

それも商売としては一つの選択だったと思います。

でも、長年地域で食べられてきた味を、このまま無くしていいのだろうか。そこがどうしても引っかかったんです。

店を復活させるなら「本物の豆腐工房」が必要だった

原田さんの味を受け継ぐ以上、魚信の厨房の片隅で豆腐を作るわけにはいきません。

豆乳を搾る設備。

豆腐を作るための機械。

作業場。

衛生設備。

すべて一から必要でした。

そこで魚信では、豆腐工房を建設することを決めました。

そして資金の一部を、クラウドファンディングで募りました。

ありがたいことに、本当にたくさんの方が応援してくださいました。

原田豆腐店のお客様。

魚信のお客様。

地域の皆さん。

「あの豆腐をもう一度食べたい」

「岡崎の味を残してほしい」そんな思いが集まりました。

魚信の敷地内に「4代目原田豆冨」が誕生

こうして魚信本店の敷地内に豆腐工房が完成しました。

ただ原田豆腐店をコピーするのではありません。

受け継いだ味と技を、次の世代へつないでいく工房。

4代目 原田豆冨

一度途絶えかけた原田豆腐店の味が、魚信という場所で再び動き始めました。

 

魚信敷地内に誕生した4代目原田豆冨

 

魚信本店の敷地内で再び始まった豆腐づくり。受け継いだ味と技を、次の世代へつないでいきます。

なぜ「豆腐」ではなく「豆冨」なのか――名前に残した、もう一つのご縁

「4代目原田豆冨」という名前を見て、

「あれ? 豆腐の“腐”じゃなくて、“冨”なんですね」

と気づいてくださる方がいらっしゃいます。

そうなんです。

工房名では、一般的な「豆腐」ではなく、「豆冨」という字を使っています。

そこには、僕たちなりの思いがあります。

「腐る」という字ではなく、「冨」。

豆から生まれる豊かさ。

昔から地域で食べられてきた味を、次の世代へ残していくこと。

そんな願いを込めています。

でも実は、「冨」という文字には、もう一つの秘話があります。

魚信と原田豆腐店の付き合いは、僕たちの代から始まったものではありません

魚信と原田豆腐店とのご縁は、単に「魚信が豆腐を仕入れていた」というだけの関係ではありませんでした。

お互いの親の代、先代同士の頃からつながりがあったんです。

長い年月の中で、地域で商売をする者同士として付き合いが続き、そのご縁が次の世代へと受け継がれてきました。

そして、魚信の先代社長の名前が「冨男」でした。

「冨男」の “冨”

原田豆腐店から受け継いだ豆腐。

魚信の先代から受け継いだ「冨」。

その二つをつなぎ、「原田豆冨」という名前になりました。

「冨」の一文字に、二つの家の歴史を残したかった

火災によって、一度は途絶えかけた原田豆腐店。

もし単純に新しい豆腐ブランドを作るだけなら、まったく別の名前を付けることもできました。

でも、それでは違うと思ったんです。

原田さんが守ってきた味。

原田家が何代にもわたり積み重ねてきた豆腐づくり。

そして、その豆腐を長年料理に使い、親の代からご縁をいただいてきた魚信。

その歴史ごと、次の世代へ残したかった。

原田家から受け継いだ豆腐。

魚信の先代・冨男から受け継いだ「冨」。

二つの家の歴史とご縁が、一つの名前の中に入っています。

だから「4代目原田豆冨」なんです

僕たちが大切にしたかったのは、「魚信が新しく豆腐屋を始めました」ということではありません。

原田さんが守ってきた味を受け継ぎ、その続きを魚信が担わせてもらう。

だから名前も「4代目 原田豆冨」なんです。

一つの「冨」という文字を見るたびに、原田さんとのご縁、先代たちのご縁、そして、この味を次の世代へつないでいく責任を思います。

僕たちは、その全部を忘れないようにしたいと思っています。

毎朝、豆乳を搾るところから始まります

4代目原田豆冨では、今も工房で豆腐を手作りしています。

豆腐は、材料がとてもシンプルです。

だからこそ、素材と作り方をごまかせません。

大豆。

水。

にがり。

そして職人の技術。

毎朝、まだ暗いうちから、豆乳を搾るところから一日の豆腐づくりが始まります。

豆乳の濃さが違います

原田豆冨の大きな特徴の一つが、濃厚な豆乳です。

濃い豆乳を使うことで、大豆の甘味と香りがしっかり残ります。

だから初めて食べていただく方には、

「最初の一口は、何も付けずに食べてください」

まず、そのまま。

次に、少しお塩を。

すると、大豆そのものの甘みを感じていただけると思います。

天然にがりと大豆。その日の状態を見ながら作る

豆乳ににがりを合わせれば、どんな日でも同じ豆腐になるわけではありません。

気温。

湿度。

豆の状態。

豆乳の状態。

少しずつ違います。

そこを見ながら、受け継いだ技術で固めていきます。

機械で大量生産するだけでは残せない味。だからこそ、原田さんから技術を学ぶ意味がありました。

 

4代目原田豆冨の出来たて手作り豆腐

 

まずは何もつけずにひと口。大豆の香り、甘み、なめらかな口どけを、そのまま感じていただきたい豆腐です。

新聞にも「消えかけた老舗豆腐店の味 復活」と紹介されました

この取り組みは、新聞でも取り上げていただきました。

「消えかけた老舗豆腐店の味 復活」

「納入先の和食店大将が再起後押し」

そんな見出しで紹介していただきました。

自分たちでは毎日の仕事としてやっていることも、新聞記事として改めて読むと、

「ずいぶん思い切ったことをしたな」

と思います。でも今振り返っても、やってよかったと思っています。

そしてテレビ「ナニコレ珍百景」にも

その後、この原田豆冨復活の物語をテレビでも取り上げていただきました。

テレビ朝日系列「ナニコレ珍百景」では、鬼越トマホークさんにお越しいただき、原田豆腐店が復活するまでをご紹介いただきました。

そしてありがたいことに、珍百景登録となりました。

原田豆冨復活のテレビ取材動画①

原田豆冨復活のテレビ取材動画②

38万人都市・岡崎で「手作り豆腐」を残すということ

岡崎市は、多くの人が暮らす西三河の中核都市です。

スーパーへ行けば、豆腐はいくらでも買えます。

便利な時代になりました。

その一方で、町の中にあった昔ながらの豆腐屋さんは、少しずつ姿を消しています。

だから僕たちは、今この場所で、原田さんから受け継いだ豆腐を毎朝作り続けています。

昔ながらの食文化を残していくことが、それだけ難しい時代になっている。だからこそ、できる限り続けたいと思っています。

「魚信になぜ豆腐工房があるの?」の答え

ここまで読んでいただければ、最初の疑問への答えがお分かりいただけたと思います。

魚信が豆腐屋を始めたかったからではありません。

長年料理に使ってきた豆腐がありました。

地域で80年以上愛されてきた味がありました。

そして、親の代から続いてきたご縁がありました。

でも、その味が火災によって途絶えようとしていました。

「この味を、次の世代へ残したい。」

そう思った。だから、魚信の敷地の中に豆腐工房があるんです。

魚信の経営理念「地域皆家族」と豆腐工房

魚信が大切にしている言葉があります。

「地域皆家族」

地域の中で商売をさせてもらう。

地域のお客様に育ててもらう。

だったら、地域からなくなろうとしている大切なものを、少しでも残すことができないだろうか。

原田豆冨の復活は、魚信にとって、この理念を形にした出来事の一つでもあります。

豆腐を食べることが、この味を未来へ残すことにつながります

どれだけ「伝統を残したい」と言っても、食べてくださる方がいなければ続けられません。

文化を残す。

技術を継承する。

そう言うと少し大げさに聞こえます。

誰かが「おいしい」と食べてくださること。

その積み重ねで、豆腐工房は続いていきます。

だから、もし魚信へお越しいただいたら、ぜひ出来たての原田豆冨を食べてみてください。

まずは、そのまま一口

お醤油をかける前に。

薬味をのせる前に。

まず、そのまま一口。

大豆の香り。

甘味。

なめらかな口どけ。

そのあと、お塩を少し。それが、僕たちがおすすめする原田豆冨の食べ方です。

魚屋から始まった魚信。そして、豆腐を受け継ぐ魚信へ

魚信は、魚屋から始まりました。

その後、和食店になり。

釜飯を始め。

そして今、敷地内には豆腐工房があります。

一見すると、バラバラに見えるかもしれません。

でも、すべて根っこは同じです。

「おいしい日本の食を、次の世代へ残したい。」

魚も。

釜飯も。

豆腐も。

昔からある食べ物を、きちんと手間をかけて作る。

そして家族の食卓へ届ける。

これからも魚信は、そんな仕事を続けていきたいと思っています。

4代目 原田豆冨をぜひ一度お召し上がりください

魚信本店に併設する工房で、毎朝豆乳を搾るところから手作りしています。

まずは何もつけずに、大豆の甘味と香りをお楽しみください。

▶ 4代目原田豆冨工房について詳しく見る

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📞 ご注文・ご相談:0120-15-0173(通話無料)

季節の魚と釜飯 魚信|店舗情報

季節の魚と釜飯 魚信

魚信本店 店長・田口

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📍 岡崎市稲熊町字山神戸6-6

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