はじめまして 有限会社味の集会場魚信の代表、西田耕一と申します。両親が創業した魚信の二代目として日々、地元の皆さまへ料理を提供しておりま す。4年ほど前から、創業80余年の原田豆冨さんも敷地内に工房を設置し「4代目原田豆冨」として継承させて頂いてます。
魚信の歴史は、私の母・乃武子(のぶこ)が昭和42年5月、岡崎市岩津町のスーパーマーケットの一角に4坪の鮮魚店を開業したことから始まりました。魚信という名の由来は、創業者である母の名前からです。
実は、私自身の誕生日が昭和42年4月26日。つまり、私が生まれた1週間後に創業したため、魚信の創業年数と私の年齢は完全に一致しています。
母は鮮魚店を営むだけでなく、自宅の2階をお座敷にして料理屋としても活用していました。仕入れた魚を余らせず、美味しい料理に仕立てて提供するという工夫は、当時から「本当にすごいアイディアだった」と今更ながら思います。
昭和60年、鮮魚店を廃業し、現在の稲熊町に150人収容できる「味の集会場魚信」を開業しました。
先代がこの規模の店舗を創業したのには理由があります。単に空腹を満たすための飲食店ではなく、人が集い、笑顔で食事を楽しめる場を提供したいという想いがあったのです。
それは、単なる宴会としての場ではなく、最も重視していたのはご家族や親族での集いの場でした。大切な我が子の成長の祝いであったり、大切な両親の長寿の祝いであったり、もちろん節目の儀礼ではなく、たまには家族で外食しようか?そんな会話の目的地としての食事処、その場を「味の集会場」という店名に込めたんだと聞きました。
創業から58年、料理屋として40年が経過し、飲食業の在り方も時代と共に変化してきました。
しかし、おかげさまで今日も多くの地元の皆様にご支持いただいているのは、創業者である母の探究心と行動力の賜物です。
その根本には、「お客様に喜んでもらいたい」という気持ちが一番の原動力となっています。
また、魚信の料理は、祖業である魚屋としての強みを最大限に活かした新鮮な魚を扱い、その良さを最大限に引き出す手仕事。そこに、創業者の人柄がにじみ出ているのです。
そんな母・乃武子も81年の生涯を悔いなく終え、一年前に見送りました。
しかし、私たちはこれからも、先代から受け継いだ「魚を中心とした地域の和食文化、日本の伝統文化」を大切にしていきます。母が大切に育てた3代目も、井田新町で「うおのぶ食堂」の店長として精進重ねてます。これからも続く魚信ストーリー、地域の皆さまと共に綴っていきます。